新人オーデションに歴史あり3
- 2013年10月21日 |
- その他 |
僕の世代や先輩世代には、「プロレスラーになりたかったんです。」という方がけっこういる。
プロレスラーになりたいな、という夢をもちながら、なることは叶わず違う職業に生きている方々だ。
今は、というと、そういう人は少ない。
わりとなれてしまうのだ。プロレスラーに。団体を問わなければ、である。
プロレスラーになりたい者が多くいて、なれなかった者が多くいてこそ、プロレスという世界を価値あるものにするのだと思う。なれなかった者は、その悔しさをばねに他の世界で活躍し成功する。なれなかったからこそがんばれる構図がある。しかし今、そのレベルを問わなければプロレスラーにはなれてしまう。なまじプロレスラーと名乗れてしまった彼らは、他の世界でがんばることができなくってしまうのだ。必死さと悔しさが薄れて行く社会。
僕が新日本プロレスに入門するときは、世捨て人のような覚悟で入門した。アパートを解約し荷物を整理し、わずかの着替えと自転車で入寮した。たまにアパートを残して入門してくる者もいるが、そういう人はやはり簡単に逃げてしまう。もう一般の社会には戻らない、すぐに辞める者はそんな覚悟が薄い気がする。
諦めず頑張って頑張って必死に夢を実現することと、頑張っても頑張っても叶わぬ夢。これは表裏一体である。この構図の崩れた社会はプロレス界だけではなかろう。しかしこの構図がプロレスラーの価値を高め、プロレスを価値あるものにするのだ。
多くの人がそれを目指し集まるが、本当に成るには厳しい世界。それがここ何年もかけて僕が目指している入門テストのあり方である。
目指すなら最高峰を目指して欲しい。そしてそのための努力をして欲しい。次回、新人オーデションに多くの夢追う若者たちが集うのを願いながら。(完)