第一章 脳震盪~記憶をリングに捧げた者たち
- 2013年10月28日 |
- プロレス身体論改正版 |
プロレス身体論~肉体的プロレスの見方~
神に与えられし身体を時には鍛え、時には壊し、己の身体を駆使してリングで闘いを魅せるプロレスラーたち。その闘いの最中、プロレスラーの身体には何が起きているのか。それを理解することによって、プロレスという競技の謎に迫れたらと思う。
第一章 脳震盪~記憶をリングに捧げた者たち
「バァーン!」もの凄い音が会場に響き渡る。一人の選手がパワーボムでリングに叩き付けられたのだ。その選手は一瞬だけ意識朦朧となったものの、反撃をして勝利を収めた。控え室に戻ってからその時のことを振り返る「(記憶が)飛んじゃって途中覚えてないんですよ。」
このようなことは、プロレス界ではよく見られる光景である。現に多くの選手は何事もなかったかのようにその後を過ごし、翌日には普通に試合に出場する。
いわゆる脳震盪と言われる状態である。「脳震盪」、比較的よく聞かれる言葉であるが、その状態をきちんと理解している人は、意外と少ない。脳震盪の理解の難しさとは、見た目の症状が一時的なものであるのに、実は継続しうる障害として考えなくてはいけないという点である。症状が落ち着いたから大丈夫というわけではないのだ。
脳震盪でよくみられる症状として、健忘がある。外傷前後の記憶が思い出せないのだ。このような選手は、「試合終わったの?どうなったの?」など何度も同じ質問を繰り返す。症状が軽いと原因となった技の前後を覚えていない程度だが、中には会場入りしたことから覚えていないこともある。いわゆる逆行性健忘症である。この際、試合続行か否かの判断を悩ませるのは、健忘状態にあっても試合を続けることが可能なことが多いという点である。現に先ほどの選手の試合ではレフリーですらその事態に気付いていない。
脳震盪を起こした選手は、数週間を経過した後でも判断能力低下などの症状が見られる。また脳震盪を一度起こした選手は、再び脳震盪を起こしやすくなる。そして脳震盪による障害は蓄積し、認知機能障害などの後遺障害を残す可能性が高まる。セカンドインパクトの問題もある。セカンドインパクトとは、軽い脳損傷が治りきらないうちに再び頭部への衝撃を受け、重大な脳損傷を引き起こすというものである。脳震盪はその後の重篤な障害につながるものであるかも知れないのだ。
現場で大事なのは、症状をみるということである。すぐに病院に運び、画像検査で出血が見られないから大丈夫、と言うのが怖い。出血はなくとも、脳は十分過ぎる程のダメージを負っているのだ。しかし画像検査OK=試合出場OKと捉えられている節がある。
個人的に忘れられない出来事として、故・福田雅一選手のことがある。福田選手は過去、二度の脳内出血を負っていた。本来なら引退勧告されてもおかしくないところだが、福田選手は、病院を変えて検査を行い、異常なしとの診断をもらった。しかしそれはあくまでも過去のことを考慮に入れない、画像上は大丈夫という診断でしかなかった。今思えば、そのことを福田選手も会社側も理解していなかったのだと思う。ヤングライオン杯という大事なリーグ戦に出場したいという本人の意思と、そこに出場させたいという会社側の思いが判断を鈍らせたとのかもしれない。結果として出場は認められ、福田選手は復帰第一戦目にして命を亡くした。
衝撃から選手の身を守るもの。それが受け身である。首を鍛え、受け身を覚え、頭を打たないようにする。だからこそ新人には受け身を繰り返し教え込む。しかし最近はどんな受け身を持ってしても、頭部へのダメージを抑えきれない技がみられることも多い。脳震盪どころか重大な脳損傷を即起こす可能性もあるのだ。
ボクシングでは、若い頃からノックアウトを繰り返す選手などに、パンチドランカーと呼ばれる健忘や認知機能障害などの症状がみられることが有名である。最近ではKOされた選手は数ヶ月の出場停止などの安全面の整備が進んでいる。アメフトやラクビーなど他のコンタクトスポーツでも脳震盪についての基準は厳しくなってきている。プロレス界でもパンチドランカーのような者を出さぬよう、脳震盪に対しての感心を高めなくてはいけない。僕自身、繰り返し脳震盪を起こしている選手を何度も見かけている。早急に改善すべき点である。
観客を魅力しようと危険な技を繰り出し、脳震盪になりながらも本能で闘い続けようとするプロレスラーたち。しかし彼らは観客の歓声を浴びながらも、その歓声の記憶を失ってしまう可能性があるのだ。プロレスにおける脳震盪、それは、歓声と引き替えにリングに記憶を捧げた者たちが魅せる、悲劇の序章なのかもしれない。
(*福田雅一・2000年4月、試合中に意識不明となり、急性硬膜下血腫のため死去。享年27歳。日本では、男子レスラーが試合中の事故で亡くなったのは、福田選手が初めてである。)