プロレス身体論~悩み多き膝3
- 2014年01月26日 |
- その他, プロレス身体論改正版 |
膝の靱帯損傷で最も重要視されるのが前十字靱帯である。前十字靱帯は内側側副靱と違って、関節包と呼ばれる関節を包み込む袋の中にある(関節内靱帯)。そのため、損傷すると関節のなかに血が貯まるのが特徴である。さらに時間が経つと、断裂し関節液に浸された靱帯は吸収されてしまい、靱帯そのものをつなぐことができなくなってしまう。現在、手術によるいろいろな靱帯再建術が行われているが、どんな優秀な人工靱帯をもってしても、本来の前十字靱帯の働きを再現することはできない。それは、前十字靱帯こそが膝の複雑な構造の担い手であるからだ。
膝関節の動きは一方向の屈伸のみであると前に述べたが、正確にいうと少しのねじり動作が加わっている。このねじりがいろいろな方向への動きを生みだし、リング上でダイナミックなシーンを魅せることを可能としている。そしてこのねじりを誘導するのが前十字靱帯である。
靱帯は関節を安定させるという役割の他に、関節面を正しい方向に誘導するという重大な役割を持っている。
例えばドロップキックを放つ時、膝を一度曲げて反動をつけてから膝を伸ばしジャンプする。膝を曲げると関節がゆるむ。その曲げた状態で膝を内側に捻ると、十字靱帯が緊張し関節が安定する。当然ゆるんだ状態からジャンプするより、関節がしっかりとした状態でジャンプする方が力を発揮する。一流の選手は知らずのうちにこの膝をねじりながら飛ぶという動きを会得している。高い打点のドロップキックを放つ選手の膝に注目してみてもらいたい。
一つ興味深い技がある。越中詩郎選手の得意技のヒップアタックである。この技は後ろ方向にジャンプするという筋肉の構造的には非常に無理のある技なのだが、それをカバーし威力をだしているのが膝関節である。体の向きを変えジャンプする瞬間、まさに膝はこのねじり構造を駆使しているのだ。ヒップアタックの威力の秘密は、人間工学に裏付けされたこのねじり運動からのジャンプにある。
この前十字靱帯が強く緊張するという状態は、同時に切れやすい状態であるともいえる。緊張状態で強く力が加わると断裂を起こしてしまうのだ。前十字靱帯は内側側副靱帯や半月板などと複合損傷することも多い。レスラーの多くも半月板との複合損傷をしている。古い例では小橋戦の前に膝を負傷した蝶野選手、少し前では、膝で2度欠場した棚橋選手、長期欠場した内藤選手などがいる。
内藤選手は入門前に前十字靱帯を完全断裂していて、二度目の断裂となるため手術したが、棚橋選手は、長期の戦線離脱を拒み手術することなくリングに復帰した。このように手術しないでぐらつきのみられるレスラーは多い。
後十字靱帯を断裂するレスラーも多い。このケガの原因となる下腿が後方に押し込まれる動作というのは、日常生活ではあまりみられないのだが、プロレスの試合では多く見られる。ダイビングヘットバット、ボディプレス、ムーンサルトプレス、ニードロップ。これらの技は全てマットに膝を打ち付ける宿命にある。後十字靱帯が直にダメージを受けるのだ。現にこれらの技の使い手である、スーパーストロングマシン、金本浩二、棚橋弘至などは後十字靱帯を完全断裂している。
特にムーンサルトプレス、これは当ってもかわされても膝を痛める技である。相手にかわされた場合は、己の膝をマットに強打し下腿を後方に押し込む力が加わる。そして技が成功した場合、膝より上の大腿部か上半身が相手の胸元あたりにヒットすることが多い。この場合膝より下の相手の体に乗らない部分がはみ出す格好となる。レスラーの胸板は厚いため相手の体に乗っている部分(大腿部、上半身)と乗っていない部分(下腿)の落差は大きい。よって技がヒットした瞬間、膝関節がテコの要領で過伸展されてしまうのだ。この衝撃は後十字靱帯のみならず膝関節に多大なダメージをもたらす。ムーンサルトプレスの使い手が膝を悪くしていく原因はここにある。
膝関節を高度な関節たらしめる十字靱帯。それは駆使すればより高度な動きをみせることを可能とする神の使い手となる。しかしある限界点を超えたとき、それは己をどん底へと導く悪の使い手になるかもしれない。十字靱帯、それは膝に備え付けられた十字架である。