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三澤威

三澤威

1989年6月、新日本プロレスに入門し同年10月22日にデビューするも、同年12月の獣神ライガー戦で頚椎損傷の重傷を負う。四肢麻痺となるも、一年半のリハビリ生活を経て復帰したが、再度頚椎を痛めて現役を離れる。その後、帝京医学技術専門学校と菅谷整骨院で医療技術を学び、柔道整復師の国家資格を習得。1996年より新日本プロレスメディカルトレーナーとなる。1999年にミサワ整骨院を開院。

現在は新日本プロレストレーニングディレクターも兼任し選手のトレーニングメニューも作成、指導にあたる。また、全日本プロレス、ハッスル、WWE日本公演、他プロレスリング興行にも参加。インスパイリングエクササイズ・メディカルアドバイザーや、他ビューテーアドバイザーなどを務める。

2008年より、新日本メディカルトレーナー協会を立ち上げ、メディカルトレーナー養成スクール、プロレス式トレーニングインストラクター養成講座、プロレス道場(プロレスラー養成)等を開講。 『ケガの予防と知識普及』をライフワークに全国で講演・実技を展開している。子供たちのためのイベント「FIGHTING AID」もプロデュース。

プロレスで学んできた”からだのこと”を、特に若きアスリートたちへ教え、正しいトレーニング法を身に着けてもらいたいと願い、ブログを通じて日々活動を続けています。是非、このブログをあなたの健康のバイブルとして読んでいただけると幸いです。

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井上亘引退に寄せて


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井上亘選手から引退の決意を聞いたときはびっくりした。まさか引退の選択をするとは思わなかったからだ。しかし同時に誰もが「井上らしいな」とも思った。

スタイルを変えてやればと提案してもいた。しかし彼が選択したのは、スタイルを変えてプロレスを続けることではなく、生き方を貫くことだった。

井上選手の引退興行を見ながら、自分のことを思い出していた。

僕がリングを去ったのは23歳。引退試合も10カウントもなく、選手会主催として、後楽園ホールで歓送興行が行われた。あの時、自分は何を思っていたのか。

 

「自分はいつも与えられた命を思いきり生きたいと思っています。今、この体でリングに上がっても思いきり闘うことが出来ません。それなら違う道であっても思いきり生きたいと思います。この選択が正しかったどうかは、これからの人生で答えを出して行きたいと思います。ケガの多かったプロレスラー生活でしたが、プロレスのおかげで、ケガをしたおかげで、人間として成長出来たと思っています。19歳から23歳までの青春の4年間を新日本プロレスで過ごすことが出来て本当に良かったと思っています。これからの人生は、プロレスラー崩れではなく、プロレスラー上りとして、生きて行きたいと思います。ありがとうございました。」

 

これが、僕のあいさつであった。

ああ、そうか、井上選手はあの時の僕であったのだ。思いきり人生を生きたい。だから引退を決意したのだ。スタイルを変えてプロレスを続ければいいのに、と思っていた自分を少し恥じた。むろんそれも生き方の一つであるのだが。井上亘には井上亘の生き方があったというだけだ。

井上選手の引退興行が、僕を23歳の頃に戻してくれたように、きっと多くの人々に、生きるということに対しての何かを与えたに違いない。素晴らしい引退興行であった。

思いがけず、あの頃の自分を思い出したこの日。あれからの21年間。僕は、23歳の自分に自信を持ってこう言える。「その選択は間違っていなかったよ。」と。

井上亘の選んだ人生。その選択に幸あれ。

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