22年ぶりの試合
- 2013年10月27日 |
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2013年10月24日、秋田県大館市、私の故郷にてエキシビションマッチながら22年ぶりのプロレスの試合を行った。ファイティングエイドではリングに上がっているが、あれはメデッスルというジャンル。純粋なプロレスの試合は22年ぶりとなる。
そうか、あれから22年も経つのか。最後の試合が、1991年11月、後楽園ホールで保永さんとの試合。22年という年月。0歳の子供が大学を出て社会人となる年月。その年月を、僕はリングに上がることのないプロレスラーとして過ごして来た。今回の試合前、前日に行われた小学校での講演で、僕は、「職業ではなく生き方としてプロレスラーを選んだ。」と語った。そう、プロレスラーとは職業ではなく生き方。だから僕はこうして生きて来れたのだ。プロレスラーてして。
試合をしなくても、プロレスラーらしく生きる、プロレスラーらしくとは、僕がプロレスラーになる前に描いた憧れ。強く、かっこよく、やさしく、人の出来ないことをする、あくなきチャレンジ、ネバーギブアップ、そんな子供のころに憧れた全てである。だからこそ職業ではなく生き方。
そして2013年、僕は故郷のリングで試合をした。相手は稲葉大樹。武藤さんの新団体、W-1の若手である。彼は僕の経営するミサワ整骨院で働いていた。もともとプロレスファンで、僕のもとで働きたいと熊本から上京して来たのだ。そんな彼がある日、プロレスラーになりたいと打ち明けてきた。整骨院の戦力として育てて来ただけに痛かったが、ちょうどその時期、私がプロレス学校を開いていたので、そこで練習を教え、無事に全日本プロレスに入門を果たしたのだ。
彼がプロレス入りをしたのが23歳。僕がプロレスから治療家の道へ足を踏み入れたが23歳。奇しくも、23歳で、一人はプロレスから治療家へ、一人は治療家からプロレスへ。その二人が師弟関係として関係を持った。そして、リングで交える。こんなおもしろいことがあろうか。
22年ぶりの試合。不思議と体は動くが、やはり息が続かない、これより凄いことを年間何試合もしているプロレスラーはやはり超人である。あらためてプロレスラーの凄さを感じた。
しかし、22年の時を経て故郷で試合をするとは。
僕は4年前に引退試合を画策したことがあった。新日本プロレスの大会で会場は後楽園ホール、発表は日本経済新聞で行った。準備は全て整っていた。しかし様々な状況のなかで引退試合は中止。かなりネットを探せもした。しかしそのおかげでファイテイングエイドが誕生し、今回の試合も行われた。人生はどう転がるか、どう進むか分からない。これは短期的な視野ではわからないことである。そしてだからこそ人生はおもしろい。To be continued.